「これでよかろう。そちは今日から私から別れて、馬と一緒に私たちがであったその坂にかえるがよい。」
お大師さまは、このようにいいつけました。
馬子は、はじめはまごつきましたがやがて、
(八坂八浜のあの坂にかえれとのおししょうさまのおいいつけには、深いお考えがあるはず…)
このように悟ることができました。そこで、
「はい、おいいつけどおり、あの坂にまいります。からだの方はまだまだ丈夫ですから、この馬と一緒にしっかりはたらいて、お寺をおつくりします。大へんな難所ですから、その道をとおる人たちにやすらぎをあたえるお寺をおつくりします。」
こう答える馬子は、もうりっぱなお大師さまのお弟子になっていたのです。
「よくぞひきうけてくれた。あの坂の松はただの松ではないのじゃ、行基菩薩さまがお植になった松。その松の木かげで私は行基菩薩の夢を観て、おことばをちょうだいしたのじゃ。その地はみ仏の霊地なるぞよ。」
お大師さまのおことばはつづきました。
「これから、この道をみ仏のお慈悲をもとめる遍路の人たちが、永遠にたえることなく、この霊地をとおるであろう。道中の最難所のあの坂にお寺をつくることは、み仏のためであり、そのお慈悲をいただく、みんなのためなのじゃ。」
お言葉をおえて、お大師さまは自ずからお作りになったご尊像をお弟子の馬子にあたえて、行基菩薩さまのお像とこの尊像を一緒にまつるように言いわたされました。
ご尊像を馬ひき坂におはこびした馬子のお坊さんは、小さな庵をつくって行基菩薩さまのお像と一緒にまつり、お寺の名を行基庵と名づけました。