馬子はこわくなりました。施しなさいと言われてだまって通りすぎたので、罰があたったかも知れんと想いめぐらしました。馬子は一ばん小さい塩鯖をえらんで、それを手にして坂の下のお大師さまの方に向いました。
「先ほどはどうも失礼しました。どうぞこの鯖をお受け下さい。」
あやまりながら馬子がさし出す塩鯖を足もとにおいて、お大師さまは馬子に水をくんで来るように言いました。お大師さまはその水をお加持して、
「あやまりに気づいてよかったな。さ、この水を馬に飲ませるがよい。」
と馬子にわたしました。
さっそく、馬子がその水をもがいている馬に飲ませたところ、ふしぎです。馬はすっくと立ち上がってケロリとしているのです。馬子はお大師さまに向かって、思わず手をあわせました。すると、もう一度お大師さまがよまれる歌がきこえてきました。
「大さかや、八坂さか中、鯖一つ、大師にくれて、馬の腹や(止)む」
歌のことばは同じように聞こえます。でも先の歌では“くれで”であったのが、こんどは“くれて”になっているのです。つまり先の歌の“くれで”は、“くれないで”の意味の“くれで”だったのでしたが、こんどは“くれたから”という意味の“くれて”になっているのです。
ちがってきたのはお大師さまの歌の意味ばかりではありません。馬子の心も変ってきたのです
「わるうございました。おゆるし下さい。」
と心からわびる馬子に、
「人間の欲ははてがない。その欲をひきしめなければならんのじゃ。馬の手づなをひくようにな。」
とお大師さまは言われて、馬子を引きつれて、一山越えた大砂の浜の法生島(ほけじま)の波うち際に立たれて、馬子の見ている前で、手にした塩鯖を海に入れ、加持祈祷をしました。すると、どうでしょう。とっくの昔に死んだはずの塩鯖が生きかえってきたのです。そして、ピンと背びれをはって沖の方に泳いで行くのでした。
このふしぎに目を見はっていた馬子は、その場で馬子をやめ、お大師さまのお弟子にして下さいとお願いしました。
それからは、お大師さまと馬子のであいの坂を“馬ひき坂”といい、塩鯖にお加持した海辺を“鯖生→鯖瀬”と呼ぶようになりました。